国分寺がいせんってなあに?
私たちの住む世田谷は、みどり豊かな住宅都市として、かけがえのないみどりを大切にしてきました。みどりは、そこに住む人々に潤いと安らぎを与えてくれるばかりでなく、環境や安全のために欠かせない存在でもあります。また、多くの生きものにとって重要な生息空間でもあります。区内には、大きな自然の営みと、歴史の流れを肌で感じることができる場所があります。それは国分寺がいせんと呼ばれる「崖の連なり」です。多摩川が10万年以上の歳月をかけて、武蔵野台地を削り取ってできたこの段丘と、その周辺に残る樹木や湧水などの自然環境は、まとまった緑が多く残る、みどりの連続性が高い地域として、世田谷区のみどりの生命線」と言われる貴重なものとなっています。
水の湧き出る豊かな台地
世田谷区内にある湧水は約100か所。そのうちの8割ががいせん沿いにあります。がいせん斜面地の地層によってもたらされたその豊かな水辺周辺では、ハンノキをはじめしっせい植物が群落をつくり、いろいろな生きもののすみかとなっています。
国分寺がいせんの位置
国分寺がいせんの「崖の連なり」は、立川市から国分寺市などを経由し、世田谷区から大田区へと延長約30キロメートルにわたっています。世田谷区では南西部に位置し、多摩川と野川に沿って約8キロメートル続き、高さ10~20メートルの斜面からなります。
みどりの連なる都市のオアシス
斜面地やその周辺には樹木が茂り、森の様相を呈しています。それらの樹木は、元々、里山の雑木林として利用されてきたコナラ、クヌギ、イヌシデ等の落葉広葉樹が中心であり、新緑や黄葉等の季節の変化を感じる武蔵野らしい緑地帯となっています。また、松林やスダジイ等の常緑樹が場所ごとに混在し、多様な樹木から構成されています。
まちの歴史資産
国分寺がいせんに沿って、たくさんの古墳があります。先史時代からの歴史を有するとともに、江戸時代にはおおやまみち、筏みち、登戸道といった古道ができ、その沿道には歴史を感じさせる祠や神社等があります。明治時代以降は、浄水場や河川の堤防の整備などが行われ、近代化遺産となっています。また、等々力渓谷は平成11年に東京都の名勝指定を受け、保存管理計画のもとに整備を進めています。
台地を感じる見晴らし
国分寺がいせんの斜面にそって、いくつもの坂があり、長年にわたって親しまれてきた坂には名前がつけられています。
また、多くの坂が南西に面しているため、冬の時期には坂の上から、富士山と多摩川の壮大な眺めが得られる場所もたくさんあります。
先進的な住宅地づくり
江戸時代から農村としての歴史がある場所ですが、鉄道の開通とともに住宅地へとかわってきました。大正から昭和初期にかけては、財界人等の別荘が岡本から上野毛近辺にいくつも建てられました。
その中の一部は、西洋の建築様式や技術の影響を受けた近代建築と呼ばれ、特徴のある街並みをつくり出しています。
また、玉川地域では玉川全円耕地整理事業により整った住宅街が生まれ、成城では区画整理事業により、整然とした街並みが形成されました。このような時代の変遷をへて、現在もみどりの多い住宅地として発展してきています。

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